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2. 正伝無雙直伝英信流居合兵法正史
【3】土佐傍系の記録(2)   研究:若浦館長
 
中山博道の正体

1、1933年(昭和8年)7月5日、日本刀鍛練伝習所開所式

当時の陸軍大臣皇道派の荒木貞雄はサーベルを軍刀に変更した。「のちに刀剣美術と軍刀の挟間に苦悩する」(国会議員・栗原彦三郎(昭秀))。後援者は頭山満(国士、明治の軍属右 翼・玄洋社及び浪人会)、内田良平黒竜会総裁)。
1931年(昭和6年)9月18日満州事変勃発、日華事変、太平洋戦争へと運命の世界相手の 15年戦争が始まっていた。

2、1934年(昭和8年)5月29日、居合読本(大日本武徳会)大森流・英信流・中山、太田両師範快著(後援会発行)
後援者は陸軍大臣林銑十 郎、国士頭山満、陸軍中将森連。

3、1934年(昭和9年)7月9日、日本刀鍛練伝習所1期生修業式
記念写真(黒竜会総裁内田 良平。中山博道確認)(鉄と日本刀著・天田昭次より)


4、1935年(昭和10年)2月頃、夢想神伝流抜刀術を名乗り出す。
中山博道はそれまで大森流 と称していたが、同年2月、河野百錬の師である正伝無雙直 伝英信流十八代宗家穂岐山波雄が逝去。
後援団体である「日本古武道振興会」が正式に旗揚。これに合わせ、土佐居合へのただ乗り、業の窃盗空き巣が始まった。
知的財産権の侵害行為というようなものである。


5、1939年(昭和14年)4月3日頃
中山博道は河野百錬(のち の二十代宗家)を威圧する為か、国士頭山、林銑十郎閣下等に紹介。
(「大日本居合道図譜(河野稔著)」に写真あり)


6、1941年(昭和16年)日本刀学院(座間)開校
大東亜戦争1月前の事。
軍刀の試斬に中山博道は両手切り。剣術の域を出ない。(「鉄と日本刀(天田昭次 著)」)
中山の良く見かける浮雲(中伝)の抜きでは、手首が外に抜け鎬が床に水平と成り45度の角度が 保たれておらず、正伝では二段の器量である。

中山博道の弟子檀崎友影(角力桂川前頭筆頭)

財団法人・全日本剣道連盟を設立したと云われる檀崎友影は中山博道のパクリ稼業の意志を引継ぎ、戦後の正伝居合の信用失墜を目論見、宗家の指定役 務の誤信を発動し、秩序の混乱を周到に画策し正伝居合の権威の崩壊を仕掛けた。資金は政府文部省助成金(国民の血税)以下その弟子達の国賊的行動規範の痕 跡と事跡の数々。

第1の証拠:
「居合道入門(昭和43年・加茂治作著)」
十七代宗家大江正路後の宗家問題に疑義を挟む記述。
初伝業を伊勢流ではなく「小笠原流」と誤認を発信。(実際は伊勢流を認識していた。)
中山博道を賛美し、九代宗家の土佐藩料理人頭を大森と捏造。


第2の証拠
港区南麻布3−1にある石碑の碑文
 昭和45年3月に建立さ れたもので、大正11年土佐居合道傍系細川より十八世を受けたと記されている。碑の裏には50余名もの刻印があるが、注目されるは一刀流笹森順三の名。
 この時点で
病床にあった全日本居合道連盟二十代正統宗家・河野百錬を裏切り、指定役務の誤信と誤認を周到に準備し、正伝土佐居合 の乗っ取りを企てていたと思われる。

第3の証拠:「夢想神伝流居合道(山蔦重吉著)」
中山博道を神伝流開祖を唱 え、十六代と業のパクリを示唆し、剣道連盟居合道部で審査昇段試験実施を宣言。
正伝大江十七代を冒涜し系
譜を混乱させるものである。
註)昭和50年二十代宗家河野百錬逝去、居合神社(山形県楯岡市)境内に中山博道を十六代とする額縁が無断で掲げられる事件発生。


第4の証拠:月刊剣道日本(
昭和51年)スキージャーナル社発行
「無双直伝英信流居合兵法 叢書(河 野百錬著)」山川偽書居合根元の巻より剽窃し、虚伝「中山博道神伝流十五代」 写真掲載

第5の証拠:
月刊剣道日本(昭和52年)スキージャーナル 社発行
 大胆にも「正伝無雙直伝英信流系譜列伝」十一代宗家以下に無断で割り込んだ捏造系譜を公開。中山博道十六代神伝流開祖を唱える。(剽窃ミスをさらに正伝史観に置 き換える)

第6の証拠:「詳解居合・無双直伝英信流(三谷義里親子著)平成8年スキージャーナル社
剣道連盟会長児島功の了解 の許、系譜捏造と3新宗家を乱立させる。宗家十七代大江と弟子中山博道との欺説 で混乱を誘発。
日本居合道の秩序の崩壊を示唆し乗っ取り成功を宣言。


第7の証拠:「大日本武徳会復刻版:近代剣道書選集10・居合・杖道(財団法人全日本剣道連盟監修、中村民雄編)」平成15年
注目すべきは正伝十七代宗家大江は傍系下村派も 受け継ぐ、とした新説を紹介。

第8の証拠;「剣道日本・居合道虎の巻」平成20年、スキージャーナル社発行
正伝居合からの簒奪パクリ 居合である剣道形居合を紹介。
変形立ての血振るいと虚説虚文による日本古武道バイブル。
「無双直伝英信流居合兵法叢書」からの業の剽窃完了を示唆するとともに、他流からの簒奪も宣言。
日本国民の歴史的文化遺産を破壊。


第9の証拠:「増補改訂版武芸流派大事典(綿谷雪)」及び「武芸大鑑」
傍系史観で土佐林一族は居 合に真剣ではなかった。九代の師大森は初伝を考案して七代英信の破門を解かれたとする虚説謳掲載。
林一族の始祖土佐中村の一条家の家臣池田豊後を古文で既に調査していた。

日本剣道連盟居合道部は、傍系二代目山川の十四代宗家に因る破門と居合伝書窃盗事件と伝書改竄を土佐抜刀芸家林一族の事跡を土佐藩主山内家古文書で調査し て伊勢流および初伝考案者林五左衛門(九代の父)の存在を知悉していた。
日本居合乗っ取りの為に歴史的文化遺産である土佐居合正史の歴史的事実を捻じ曲げて虚説を日本全国にばら撒き洗脳史観に国民を落とし込んだ確信犯である。

欺武道家中山博道・・虎の威を駆る狐の道

中山は土佐の板垣退助の紹介で土佐の細川を紹介されたとする欺説で塗り固めているが、真実は明治の右翼玄洋社頭山満及び黒竜会(ブラックドラゴン)総裁内 田良平の庇護の下に土佐居合の乗っ取りを企てたのである。
虎の威を駆る狐は、その反撃を受けたのか、譲られた道場有信館(中山の道場)は2回に及ぶ放火事件に遭遇した。被害者ではあるが、中山の生き方性格を開間 見る事ができる事件である。

国士頭山満翁との関係は記録に残っているが、土佐の板垣退助との関係は剣道専門誌でも一切証明されていない。
また中山の居合の師土佐の細川との子弟関係を示す文献も未だ公開された 事は無い。
昭和9年・黒竜会総裁内田良平との同席 写真が刀匠人間国宝天田昭次氏の書簡(鉄と日本刀・平成9年)の中に紹介され、中山は実はゴロツキ武道家であったという正体が暴露されているのである。
この数 十年に及ぶ謀説居合道史観捏造の為の資金は、財団法人・剣道連盟に対する日本政府からの助成金?十億円にも及ぶ「国民の血税」が投下され、これによって今 日の社会秩序の混乱が意図的に作りだされた事実が判明した。膨大な数の居合昇段試験と講習会による所得を得ていたのである。

これらの証拠文献は政野その一部であり、巷にはさらに何十冊もの書籍文献が出回っている。ほぼ全てがスキージャーナル社発行、注文は剣道連盟であった。正 伝居合の埋没を運よく食い止めることが出来た。謎の虚説虚伝は時の歴史が明らかとする。

平成23年7月26日、易水館・正伝無雙直伝英信流・宗範十段 若浦 次郎


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