【3】錠八と共に隠された二つ目の真実(2)
隠された真実
小生の手元にある土佐藩中先祖系図牒(高知県県立図書館資料)によると、土佐の元祖である林
五左衛門政良は万治三年(1660)に土佐三代藩主忠豊の御
台所に抜擢され、元は土佐浪人の子息とあるが、その祖先は左大臣一条教房の家臣である旧名池田家の六代目に当たり、初代池田豊後は文明元年(1469)に
応
仁の乱を避け、奈良より一条房家(左大臣房の子息)にお供して土佐中村へ一子助五郎共々赴任、その後助五郎を中村へ残し兵庫の領地へお供し主君共々討ち
死にをしている。
『武道大鑑』には、土佐居合の林家を「居合に熱心では無かった」と記しており、林家の祖先に当
たる池田豊後も記録されている。
『武芸流派大辞
典』では、九代の剣術の師に当たると言われた「大森六郎左衛門」について、七代英信の弟子で破門されたものの、その後初伝業の形十一本を英信に見せたこと
で破
門を解かれたと記録されていた。破門とは錠八(山川)の事で全ての史記を掴んでいた。
この二つの書籍において、既に土佐抜刀芸家林家の履歴と傍系派錠八政之丞(変名山川久蔵幸雄
の破門)の真実が把握されていたらしく、大森六郎左衛門なる実態と大森流が偽流である事も深く認識していたことが明らかとなった。
この隠された真実とその隠蔽工作がどのような経過に依るものか考察する。世間に知られたくな
い動機とは何であったか。この知られたくない動機となった資
料はだれが調査・発見したか。興味を掻き立てられるテーマである。
仮設1)土佐傍系派(財団全日本剣道連盟高知支部中山一派)が林家の系図と傍系派錠八
政之丞(変名山川久蔵幸雄)の破門とその後の神伝流秘書の生い立ちを知り得ていて、『武道大鑑』と『武芸流派大辞典』に対し事実の歪曲を依頼した。
仮設2)『武道大鑑』と『武芸流派大辞典』の主幹らが林家の過去帳と山川の破門の経過を財団全日本剣道連盟へ知らせ、結果として三つの真実が隠された。
戦後となる。二十代宗家河野百錬氏は傍系派曽田虎彦氏より、案内された山内家の土蔵の内で
「土佐神伝流秘書」を受けとったと、「無雙直伝英信流居合兵法
叢書」(昭和29年発行の元と成った文書)に記されている。この時すでに林一族の過去帳は抜け落ちていた。曽田氏が渡さなかったのであろうか。
曽田氏は林家の履歴を知っていたはずである。傍系派はこの時点で錠八と林家の履歴の隠蔽を申
し合わせていた。無論東京で檀崎宅に在住していた中山博道にして
も、昭和10年に金銭で買い取った神伝流で世に名乗りを上げた時点で承知していたものと考えられる。此れはすなわち傍系派が、二十代宗家河野百錬氏を、神
伝流を
広く世間に認知させるために利用したという事になる。故人となった河野百錬氏の無念は推し量り様も無いが、氏の遺言である『後の研究は後進に託す』・・・
小生は
この意思を受け継いだ訳である。
林家の土佐元祖五左衛門政良(料理人頭)一族の経歴と窃盗で破門と成った山川(錠八)作成の
偽書土佐神伝流秘書の正史は決して世間に知られてはならな
い。さもなくば中山博道と神伝流が立ち行かなく成ってしまい、全日本剣道連盟より投資された金銭の回収も出来なくなる。
結局、中山の弟子檀崎(角力
桂川)によって回収された金銭の出所は、感動と畏敬の念を刷り込まれ奴隷剣士と成った剣道剣士達と雑誌を購入した一般国民であり、著名作家である三島由紀
夫氏もその一人である。(三島氏は関之孫六の偽刀を数千万円で購入させられ市ヶ谷の露と消えたのである。)
昭和50年12月、二十代正傳宗家河野百錬氏が逝去すると、氏が設立した大日本居合道連盟の
分裂を確信していた全日本剣道連盟と傍系派諸氏達は「月刊剣
道」の発刊準備を開始し、一般雑誌としての体裁を整え全国の書店、駅売店で販売を開始した。その後の捏造・自尊史観の刷込み教育は三十余年の長きに渡り全
国に配付され、疑似居合道をここに完成させる筈であった。
しかしここに隠された真実は暴露された。昭和50年11月の日本剣道に記載された「博道15世説」に
端を発した三十余年の歳月が果たした社会的役割は今幕を閉じようとしている。